In 社長の追伸

人の命は有限です。とても大切な人を亡くしました。あまりにも早く旅立ってしまった、多くの人に愛されたその人柄と、素晴らしい功績を絶対に忘れないように、このブログを書いています。

2020年3月7日1:04分、私の前職でのスーパーアシスタント柴田佳子さんが、その生涯を閉じられました。46歳、クモ膜下出血でした。3月2日の夕方勤務されていたFranklinCovey社のオフィスで仕事中に倒れ救急車で病院に搬送され、血圧低下で今夜が危ないと言われたものの、一度は踏みとどまって下さいましたが、最後まで意識は戻らず帰らぬ人となってしまいました。入院された病院は、コロナウィルス対策で一般面会を遮断中で、私も彼女を慕う人たちも、残念ながら彼女に会う事はかないませんでした。いつか一緒に仕事をしようと、いつも言い合っていたのに、実現できなかった事が悔やまれてなりません。

お通夜、告別式には彼女を称える沢山の会社の同僚、そして彼女が担当した大手信託銀行さんの歴代の人事担当者の方なども参列されていました。彼女が誇りを持って取り組んで来た周囲の人を全力でサポートする(助ける)という仕事ぶりの、そして彼女の周囲を一気に明るくする暖かい人柄を証明するかのようなお別れの会でした。

スーパー・アシスタントとの出会い

彼女は、私の前職の研修会社時代のアシスタントです。アシスタントというよりは、仕事のパートナーでしたが、ここではいつも呼んでいたスーパー・アシスタントという言い方をさせて頂きます。

はじめて会ったのは、彼女が前職でまだ転職される前でした。当時の上司に紹介されて、「彼女うちにどうかな?」と言われましたが、お会いした瞬間から、そのキリっとされたようすや、お話の仕方の的確さに魅了され、ぜひ来て頂きたいと、いや、なんとしても引き抜いて来て欲しいと上司に伝えた事を覚えています。彼女は当時別のCS向上を目的とした研修会社でマナー系の講師や会社全体のオペレーションをされていて、肩書は取締役でした。2013年の事です。

売上が一気に1億越えに

彼女が入社して私のアシスタントになってくれると、私の仕事の仕方は一気に変わりました。事務処理能力ゼロの私に、事務処理だけでなく頭脳面、メンタル面のサポートまでしてくれる彼女は、まるで芸能人の付き人の様。私の年間売上は、7600万からいっきに1億を超えました。

仕事ぶりは兎に角凄かったです。柏さんのメールをすべて私にCCで下さいと言ってくれ、極端な話、私がメールを読むころには、殆ど対応が終わっていて、私はお客様に結果を報告したり、メールを添付したりするだけ。研修導入の業務は、通常、面談、提案書、見積、申込書、資料発送伝票(研修手配)、研修納品立会いと続きますが、私の仕事は面談と提案書と納品の立会いだけ。あとは全部彼女に丸投げさせてもらう事で、私の顧客訪問件数は、月平均の15件から一気に25件程度になり、最終的には30件を超えるようになりました。

この頃から営業で成果を上げる為には、売上=営業力×訪問件数だという事に遅ればせながら気づき、業種によって営業件数などは異なるものの、私の場合は、今でも最低30名ぐらいの方とお会いするようにしているのは、この頃の経験からです。営業研修で「訪問件数が足りないと売上は、上がらないですよ」という話をする時は、彼女と仕事をしていた当時のスケジュールのページをパワーポイント画面に出して、ほらこんなに訪問していたのよと受講者を驚かせることにしていますが、とてもひとりで出来た事ではありません。

彼女は、なぜか私を尊敬して下さっていて、いつも一緒に私の成果を心から喜んでくれました。たぶん一心同体というのは、あのような状態の事を言うのだと思います。当時仕事の事と言うのは、家族には言いにくいし、外資系という事もあって、同僚にあまり言うと妬まれても嫌ですし、上司にちょっと大きく言えば予算を増やされるので、あまり成果を言える人、つまり自慢できる人がいなかったのですが、彼女だけは違いました。いつも「柏さん、ほんとうに凄いです」と心から喜んでくれ、彼女の褒め殺し作戦に乗せられて、当時は、飲料メーカーさんを次々開拓したり、2014年12月からは、大手コンビニエンスストアの本部研修をスタートさせたりしていました。一億達成した時だったでしょうか、インセンティブというボーナスのようなものが、8万だったか10万だったか現金で出たときに、その場で彼女と半分こしたのを、とても喜んでくれて、達成お祝いの飲み会で他の方に、私と半分に分けた事を嬉しそうに自慢して下さっていたのを覚えています。私にとっては全部あげてもいいくらいのものだったのに、

コンビニエンスストアさんの仕事は、今考えても寒気がするほど大変なものでしたが、これも打合せから報告書まで彼女がサポートしてくれて乗り切り、3年に渡って超大型商談をクローズしました。このレベルになると、社内の多くの方にご協力頂きましたが、複数階層に渡る提案の為、一番多い時で10本以上もある提案書作成に3カ月かかったこともあり、とても彼女なしでは乗り切れなかったと思います。その商談に関しては、たとえばお客様を唸らせるご報告書の作成の仕方など、私の知らない研修会社の凄い技というようなことも彼女から沢山教えて貰いました。当たり前ですが、退職する際に全部置いてきましたが、10回連続研修の時などの本のように素晴らしかった報告書だけはオリジナルファイルが欲しかったと思います。

退職後も心の支えに

彼女とは、私が2016年の9月に当時通っていた大学院の論文を書く為に退職をするまで約3年一緒に過ごしました。一心同体の彼女と私の人生の中でもアドレナリン出まくりの素晴らしい時間だったと思います。そして彼女の中でも、そうであった事を願います。私は、翌2017年1月に大学院に論文を提出、2017年2月に卒業を待たずに現在の会社、株式会社ピグマリオンを設立しました。

退職後も彼女が、私にとっては心の支えでしたので定期的に会って食事をしていましたが、いつも食事の前には、自宅兼オフィスに寄ってくれて、私のただ箱の中に放り込まれた大量の領収書を「しょうがないですねぇ」的な雰囲気を全身から発しながら分類してくれていました。食事に行くのがメインか、仕事の話を聞いて手伝ってもらうのがメインなのか判りませんが、いつも、「いつか一緒に仕事をしようね」というのが合言葉でした。でも、私の退職後の彼女は複数の営業のサポートを一気に引き受ける、まさにスーパーな活躍をされて、会社にもチームにも頼りにされる存在でしたので、そんなバリバリの彼女を引き抜く事は私には出来ませんでした。一騎当千という言葉がありますが、まさに仕事が大好きで、そしてそれに見合った高い能力もあった彼女こそが一騎当千だったのだと思います。

そして、現実的に当時の彼女の給料を上回る金額をこんな小さな会社で払えるはずもありませんでした。私の現在のアシスタントは、家庭も子供もある女性で完全リモートアシスタントなのですが、彼女はこのバイトの仕事をなぜか心底羨ましいと思ってくれていたようで、ある時、勝どきのカウンターの店で食事をしながら彼女に言ってもらったのは、「いいなぁ、私がその仕事やりたいなぁ」という事。「今のお給料相当のフィーを払えないし、あなたが55歳になった時、私が70歳だもん、とても引き抜けないよ」と笑う私に「じゃあ、私が結婚して家に入ったらリモートで柏さんの仕事を手伝います、それならバイト代だけでいいでしょう」という案をニコニコ笑いながら出してくれました。本当に、とっとと結婚してリモート・スーパー・アシスタントになってくれていたら、良かったのに・・・・

最後に会ったのは、昨年の11月23日の私の勝どき研究室の事務所開きのホームパーティです。とても元気そうで、今ちょっと仕事の事で考えている事があるので、また相談に乗って下さいと言っていました。

次に誘ったのが2月3日でした。この日は、ピグマリオンの読書会の日で人事系の偉い人が集合していたのですが当日キャンセルが1席でたので、ふと彼女に会いたくなってFacebook messengerで誘ってみましたが返事がなく、しつこいかと思いましたがそうなるとどうしても会いたくなって会社のメールにも連絡したところ、生憎今日は仕事が立て込んでいて、外せない会議もあるとの事で、また次回という事でした。ここで普通ならすぐ彼女と会う機会を作るのに、この時は2月に研修が連続で集中していて、身動きが取れなくてそのままになってしまいました。せめてもう一度会いたかった、きっと私も入っているはずの、彼女の次の人生プランを聞けなかったというのが、本当に残念です。

彼女を忘れない

彼女が亡くなった朝、いきなり、真っ平の冷蔵庫の上から紅茶の缶がガシャンと派手に落ちました。弟さんからの電話で彼女が亡くなられた事を聞き、泣きながら「いっしょに仕事しようって言ったじゃないの」と叫んだ瞬間です。「ずっと一緒に見ていてあげますから」と言わんばかりの派手なパフォーマンスにちょっと苦笑しながら、忘れない事、彼女が沢山の人に素晴らしい人柄と仕事ぶりで、沢山の「感動」を残して生き抜いた事、To Leave a Legacy、 仕事を通じた世の中への貢献という「大きな遺産」を残したことを、忘れない事が大事と心から思いました。

 

尚、彼女の遺影の写真は、最後に会った時ふたりで撮った写真から切り取られたものでした。最後まで「柏さんと一緒ですから」と言わんばかりの・・・・・・

 

2020年3月19日投稿 ※写真及び本文掲載にあたっては、ご家族のご許可を頂いております。