In 社長の追伸

秋の研修シーズ真っ只中ですが、昨日は明治大学専門職大学院グローバルビジネス科のゼミで共に学んだ友人が講師をする麗澤大学の授業の学生さんの研究成果最終発表会の審査員をしてきました。学生さんがパワーポイントを使用して発表して、それに対して外部のビジネスパーソン5名が講評を加えて行くのですが、どうやらかなり選ばれし学生さんだったようで、発表内容も取組み姿勢もとてもポジティブで、私も楽しい時間を過ごさせて頂きました。

しかしこれは自分も含めてですが、各審査員は、それはそれは学生さんに厳しいのです。成長して欲しいから、もっと良いモノにして欲しいからという想いあっての事ではあるのですが、そのそれぞれの方の何と言うか、(ご本人たちには失礼かも知れませんが)活き活きとしたコメンテーターぶりを拝見していて、自分も含め人はそもそも「教えてやる」のが好きな生き物なんだなぁと、実感しました。

ある程度の年齢を超えると自分の経験を活かしていずれ講師になりたいですという方が多いと言うのも判る気がします。

しかし、実際に講師になってしまうと、スキル研修は別ですが、常日頃の研修では、教えるというより引き出すの方が大きな仕事だと判って来ます。そのような進め方の方が気づきを引き出すには効果的なので、研修で意見を言う場面は多くはありません。

それでも研修内容によっては、成果を最大化する為に、かなり辛口のコメントをつける事があります。営業スキル研修もそうですし、経営理念浸透などの研修でもそのような場合があります。先週の経営理念策定研修でも、コーポレートスローガンを作成している際に、あるグループの成果に対して「市役所のスローガンならこれで良いけれど、外資系製薬会社でこれはどうなの?この市役所臭どうするの?」と公的機関の皆様には大変申し訳ないコメントをしまして、最後まで受講者に「また、柏さんにディスられるといけないんですが・・・」と逆にいじられ続けておりました。

さて、それほど人は他の人の粗(あら)を見つけ出す事に快感を感じるようですが、ふと昨日の自分を振り返って、十分学生さんにとっては厳しかったかも知れませんが、いつもの私に比べれば昨日はそれほど辛口でもありませんでした。他の方にも「聞いていたほど毒舌ではなかった」と言って頂いたので、いつもより全然おとなしめだったのだと思います。それは、ボランティアで参加していただので、仕事ではなかったという事も大きいと思いますが、私の場合、その「教えてやるの快感」は日頃の仕事で充分満たされてしまってプライベートまで、そんな事をする必然性がないのだと分析しましたがどうでしょうか?

実は、似たような事が昔あった事を思い出しました。ギャンブラーとしての私が、スパッと足を洗った話です。

私は、その昔兎に角「賭け事」が大好きでした。まず中学から競馬。これは実家が府中でしたので父に連れられ毎週競馬場。開催していなくても競馬場というのが、週末の楽しみでした。蛇足ですが高校時代は特に競馬に萌えて、トウショウボーイ、テンポポイント、グリーングラス、トウフクセダン、メジロファントム、プレストウコウなどの馬のファンでした。

高校に入る頃には、競馬に加え、麻雀とパチンコも始めます。麻雀は主に友人集めて自宅で、パチンコは本当は高校生はやってはいけないのですが、私服の高校なのを良いことに、良く通っていました。最初は手で弾くタイプのパチンコ、その後100円だま固定しておける電動のパチンコ台になりました。大学に入るとアルバイトが忙しくなったのであまり行けなくなりましたが、卒業して社会人になり、21歳で速攻結婚すると、だんなの帰りが遅いのを良い事に仕事終わりは必ずパチンコ、毎日パチンコ。一時は給料全部パチンコでは?という負け続きの時もありました。東銀座の勤務先からで南柏まで帰って来るのですが、東銀座のモンタナというパチンコ屋さんから有楽町駅前(記憶では第一大丸、第二大丸だったような現在のパチンコUNOとDUOだと思われます)、北千住、松戸など殆どの駅のパチンコ屋さんを巡回していました。今考えると同じ店で研究をした方が儲かると思いますが、負けが込んで来ると冷静さを失うのでしょう。

ギャンブルというのは、中毒になります。強い刺激が味わえるからです。その驚異の賭け事好きが28歳でぴたりと終了します。水産物売買のアシスタントのような仕事から、新しい会社に移り冷凍水産物ディラーとしての仕事が始まったからです。

今でも研修設計からデリバリー、コンサルタントまでひとりで嬉々として仕事をしていますが、昔から自分の目の届くこのスタイルが好きです。当時も買付からブローカリング(売りやすいサイズだけ残して後は同業者へ飛ばしていました、これを魚ころがしと言います)、加工場指導から、製品の販売まで大手漁業会社が数十人でやっている事をひとりで嬉々としてやっていました。輸入冷凍魚が多かったので、当然為替リスクも自分もちでした。50憶売っている時ですと、北米銀鱈担当でしたので半分以上が外貨だったのではないでしょうか?例えば100万ドルを10分割して最高に儲かるレートで先物予約をしてみよう!等、勝手に自分で工夫しているつもりでした。しかし、パチンコとおなじぐらいセンスがなく、毎回為替の先物は失敗して、結局相場感と魚の目利きと販売力で取り返すという、やくざな商売をしていました。

もう毎日が勝負、勝負、勝負。しかも会社のお金で勝負出来るというラッキーさ。

当時の為替は200円前後で10%の20円違ってしまうと、だいたいコンテナで5本、100M/Tづつぐらい買っていたので、200万円ほどを為替だけで損してしまいます。500M/T円転していない在庫があると1000万ぐらいの為替差損になります。一方、魚本体の水揚げ量、流通量の変化による相場の乱高下はものすごく(最高に損した時が4000万でしたので)私にとっては200万は取り返せるレベルでしたが、バブル崩壊直前でまだ幾分景気も良かったのでしょう、ずいぶん無茶な仕事をしていたものだと思います。因みにバブル崩壊後はタラバガニを加工して製品にして売るという様に少々真面目に付加価値をつけて販売する方向に転換をしています。

しかし、この毎日勝負、勝負な仕事のおかげて、長年ムダ金を注ぎ込んで来た賭け事好きからスパッと足を洗う事ができました。人間何が幸いするかは、判りません。つまり、もう賭け事は仕事でやり切ったのだと思います。

翻って、昨日の「教えてあげる」という局面で、あれもこれもと昔の私のように畳みかけなかったという事は、「教えてやるの快感」を充分仕事で満たしてしまっているからではないかと思ったわけです。様々なことに対して良く「とことんやってみるといいよ」というアドバイスがありますが、とことんやってみたその先に、別の世界が待っているのかも知れません。その別の世界にちょっとだけ進化した自分が見えたら嬉しいです。

因みに同席していた准教授の方は、何も語らず、ただひたすら見守りに徹していらっしゃいました。おそらく教えるの達人になると、あのレベルまで行けるのだと思います。きっとあの准教授の方の授業は楽しいと思います。